私は音楽留学で渡米しましたが、それ以前から(小さい頃から)ずーーっと『練習』が日課でした。
学校を卒業しても、ミュージシャンはアスリートのようにひたすら練習が必須ですが、私は練習があまり好きではなく、苦行とか修行の世界💥でした。
特に私の場合、学生時代に色々ありまして(そのうちお話しします💧)、途中で専攻を変えたり色々と首を突っ込んだりしていた(若気のナンチャラ、です💧💧)ので、必要な練習量もハンパなく、大学院を卒業する時には「はぁぁ~~これで苦行の日々から解放されるぅ~🎉」と思っていました。
ま、そのような甘い💥話はなく、途中で練習中断の時期も一瞬あったりはしましたが、結局プロジェクトだレコーディングだバンドだなんだ~、とつい最近まで鬼練習モードのままでした🍃フルタイムで仕事して、直帰ではなく直スタジオで練習4時間💥とかの毎日を40代になっても続けていたって・・・変態変人やな、と👻
それでまぁ、音楽活動が停止になったパンデミック以降、「よよよよようやく練習地獄から解放🎉🎉」としばらく浮かれておりました。
前々から興味を持っていた瞑想やサイキックの分野はさすがに鬼練習👹とかないでしょうし、これでようやく苦行から完全解放👼・・・と思っていましたが、どうやら大間違い💥だったようです。
サイキックも練習ありき、だとしみじみ実感する羽目になり、またも修行モードが~~🍃
ヒーリングなどもそうですが、エネルギーを視たり動かしたり、という分野においても、視える能力とか以上に、繰り返し練習して感覚を掴むことの方が確実で大切なのですね。
例えば『視る』いわゆる透視ですが、サードアイだなんだ~と説明があっても、結局は物理肉体(脳含む)の反応を頼りにします。何度も練習することで、身体が『その状態』に慣れてくる、自分が『視えている状態』であることを体感でも理解出来るようになります。スタミナもつくので、まぐれ~とかたまたま~、というようなことはなくなり、安定して視える、視えるものを伝えることが出来るようになります。
練習することで、元々あった(かもしれないw)能力を引き出す、引き上げる、そして自分でコントロール出来るようになり、安定する・・・これは音楽の楽器練習や英語の反復学習と何ら変わりはありません。
要するに、能力勝負じゃないんですよね(いや、勿論能力大切ですが😅)。練習を重ねれば、『誰でも』ある程度までは出来るようになるってことです。これはプロ云々の話ではありません。
料理だって語学だって、別にプロレベルにならなくても、練習を繰り返せば『誰でも』ある程度のレベルにはなりますよね?毎日練習しているのに3か月経ってもご飯炊けません、なんて人はいないでしょう。
まさかサイキックとかソッチ系も練習ですかい?!と思いましたが、実際にリーディング・セッションに週1ではなく2回、3回と続けて参加してみると、かなり違ってきます。セッションは毎回違う人達と組むしクライアントは全く知らない人ばかりですが、フォーマット(進行プロセス)は同じですので、非常に良い練習の機会になっています。
受講間もなくの頃、オーラリーディングなんて私には絶対ムリだ~!(7層のオーラを順番に視ていくのですが、時間もかかるし気力も英語力もそこまでもたない💥と思っていました)😰と心底思っていましたが、英語力はともかく(チーン🍃)何とか出来ていることに自分でも驚いています。
元々が緊張しぃなので、今も毎回セッション前にトイレ駆け込み🚽とかやってますが、そんな状態でもやはり練習を重ねるって大切なのだなぁ、と日々思わされています💦
この調子だと死ぬまで練習かな・・・って音楽学校時代の恩師が「生きる事、毎日が練習だよ」と仰っていたことが今更よみがえってきております、ひゅる~。
コメント