Something to live for... 「生き甲斐」「生きる意味」です。
[Photo by Federico Fioravanti on Unsplash]
勿論、普通に食って寝て~で生物として「生きる・生存する」事は出来ます。それすらも厳しくて、まずその基本的なニーズを満たす、満たそうとすることだけで人生を終える人達も勿論います。
生き甲斐や生きる意味を模索、思考出来ること自体が贅沢、恵まれているともいえるかもしれません。
ただ、現在の文明社会においてある程度のベーシック・ニーズが満たされているとすれば、この社会で生きる一個人としての生き甲斐を持つことはとても大切だと思うのです。
それがなければ「心が死んだ状態」になってしまうのでは、と私は思います。
日本もそうですが、パンデミックを機に多くの場所で鬱になる人、そこから自殺する人が増えています。生活の困窮や過労といった物理的な問題もありますが、社会から隔絶された孤独からの鬱も多いです。
こちらでは家族や友人達との交流を何よりも大切にしている、生きる糧のように感じている人達が結構多いので、パンデミックでそれらが失われて酷い鬱状態になる人も結構いました。彼らにとっては人とのコミュニケーション、そこから自分が学んだり成長したり癒されたり、が生きる大きな意味のひとつだったのだと思います。
私は昔から「おひとり様バンザイ🎉」タイプ(一人旅、一人飯、一人遊び派)でしたので、パンデミックのおこもり生活などは全く問題なくむしろ水を得た魚🐡状態wwだったのですが、それとは別に生き甲斐について改めて考える良い機会になりました。
仕事は在宅で問題なく、衣食住にもとりあえず困らない、ただ楽器練習などにも行けないおこもりなのでハッキリ言ってヒマ💥ですし、そうなると「私、何がしたいんだろう🤔」とハタと思ったのです。
そう、それまでは日常生活とか音楽活動とか適度な外出や旅行などで気が紛れていましたが、ここへ来てようやく(?)『自分にとっての生き甲斐とは?』という命題にぶち当たったのでした。
生き甲斐って「生きてて良かった~💖」とか「これやっててホント幸せ💕」って心から思える、感じることだと思います。
音楽活動に本気500%だった頃は、ライブだけでなく練習も楽しかったですし、ツアーとか物凄く面倒でしたがそれでもヤリガイを感じていました。もう完全以上燃焼🔥しちゃったので、現在ほぼ辞めちゃった事について全く後悔も未練もありません。
あの頃の夢中感覚、幸せ感を覚えているので、本当に心から「生き甲斐って大切」だと思えます。人は生きる意味がないと厳しいです💧
おこもりの期間中、私は結構趣味モードで迷走💥しました。イキナリ機織りを始めてみたりとか(結構面白かったですが、なんせ不器用なので・・・💧)、大学の社会人クラスを受講したりとか、まぁ~色々やりました😅
今受講しているエネルギーワークのプログラムも、ぶっちゃけそれらの一環wwかもしれませんが、自己観照を徹底的に行う講座でもあるので、自分について掘り下げる上では最適な選択だったなぁと思います。
ちなみに、私の場合は天命らしきものは分かっています。ただ以前にも書いたように天命=仕事ではなく魂の性質や性格の傾向なので、何をやっていても結局はそこへ収れんされていく感覚はあるのです。不思議だわ~~と客観的に思っていますw
これまで肉体を限界突破で酷使する💪ことで充実感や生き甲斐感覚をゲットしていたので、身体をそれほど酷使しなくても良い、という事すらシフトするのに戸惑っていた時期もありました(だからと言ってエクササイズが好きとかでは全く!!ない💥)。ストイック!とか睡眠時間4時間!!とか(実際にそうでした😅)ギリギリまで頑張る!!的なモードにならないと「生き甲斐」とは言えないのではないか、と考えていた時期もあったのですが、現在のクラスで先生に指摘されて「ハッ💡」と気付いたのでした。
生き甲斐って「必死こく😤」じゃないよね、と。夢中になる=限界突破でもないし。ゾーンに入ることと生きる意味は全く関係ない。
そんなこんなで、私自身は改めて✨楽隠居モード✨を目指しつつゆるゆる(←ここ大事!)と自己発見wwの旅を楽しもう~と決めました。
どんなスタイルであってもいい、自分自身が「楽しい🎵」と感じる事をする、「生きてて良かったな~」って思える人生を過ごしたいですね🌈
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