アイスランド旅行記の途中ですが、雑談wも入れたくなる今日このごろです。
[Photo by Nicholas Sorrenti on Unsplash]
Fulfillment = 達成、成就、遂行といった意味がありますが、簡単に言えば「Dream comes true」でしょうか。夢が叶った!努力が実った!!みたいなニュアンスです。満たされる~✨というフィーリングですね。
私も今回のアイスランドでオーロラ✨をこの目(某清水系wスマホのお陰もありますが)で見てそのエネルギーをしっかり感じて、何というか今も満足感~満たされた~のFulfillment♡でございます💗
ここしばらく(多分コロナ前後から)「何か足りない」「イマイチ満たされない」「どういう方向で生きればいいのか」「生きがいとはなんぞや?!」みたいな事を色々とグルグル考えることが多く、パンデミック中は様々なアホ方向へ迷走💥したりしていたのですが、アイスランドへドカーン💨と出かけてオーロラをガツーン✨と見て、いやもう「吹っ切れたw」というのか、開き直ったというのか、隠居バンザイ🎉に(今更)なったというか、とにかくツキモノ(?)も落ちた感じになりました。
いや~清々しい✨ですね。特に「これをしよう!」とか「この道に絶対進む!」といった以前のような決意は全く!!ないのですが、ただもう満足~♨で一杯です。
コロナ前、音楽活動を一旦停止した時に、ふと「自分は『次』に何をしようか」と考えまして、燃え尽き~🔥の後に少しずつ模索を始めていたのですが、パンデミック!ロックダウン!のバタバタで一度全てがリセット💥みたいになり、その後(他の多くの方々と同じように)「何したら良いのかね?」モードに陥ったのでした。
人は満たされない時(特に物理的)に一番その能力を発揮すると言われており、実際限界突破や物事を達成するにはある程度の飢餓感が必要かな~と私も思ってきました。何かが足りないから、満たされないから、認められたいから、といった一種の物欲、自己顕示欲、承認欲求が満たされて始めて「達成感」を得ることが出来る、というロジックです。
確かに経済(特に資本主義経済)は物欲という人間の感情がないと発展しませんし、社会や文化の興隆も根本的な飢餓感、欲求がないと起こり得ないと思います。物理的に満たされてしまったセレブ系の子供達がドラッグや犯罪等に染まってしまい、全く社会貢献に役立たない~というのも彼らが満たされていることによって飢餓感がなくなってしまっているから、とも言えるかもしれません。
私自身も音楽活動を停止した直後、自身の経済状況が好転(音楽活動の出費が相当でしたので💧)した事で物理的にはそれほど困らない状態になり、飢餓感が緩和されて「あれ?自分は何を目指したらいいの?」みたいな路頭に迷う感に陥ったのかなぁ、と(今回の旅を終えて)以前の私を振り返った時に思ったのでした。
物理的な困難、とまでいかなくても、欲しいものが手に入らないと言うのは誰でも日常的に経験している「飢餓感」です。
自身の欲求レベルに対する変化(物欲の変化含む)や経済的な安定感に寄って、私の場合はある程度「満たされた」状態になり、一時の物理的飢餓感はなくなりました。そこで感じたのが「生きがいの喪失」みたいな新たな飢餓感で、以前より更に深刻なモノでした。
音楽活動に集中している時にはそれが飢餓感を埋めるもの、飢餓感を誤魔化し忘れさせる薬(麻薬?)のようなモノとして機能していたために、分からなかったのです。
中には「人は満たされたら終わり」と(いささか極端なことを)言う人達もいます。物理的、精神的に満たされてしまったらもう「次(成長?)」がなくなってしまうので、そこで終わりだ、と。
私はそうは思っていません。物理的に困らなくなっても、精神的に安定しても、そこで終わりではないです。まだある「穴」や「欠点」や「満たされないもの」を探してジタバタする、のでもないです(もう散々やったしww)。
充実するのは「満たされないから」ではない。生きがいは日常を送るその状態、その瞬間に感じれば良い、自分がどうその瞬間を感じているか、にかかっている・・・そのような悟りめいた事を、アイスランドの地でオーロラを見て涙を流しながら私は思っていました。
「何か」に「なろう」とするのでもなく、「なりたい」とも思わない。ただその瞬間、瞬間を心から感じる、感謝する、でいいかなぁと。
ですので、皆様、安心wwして満たされて下さい。目標を達成することだけが生きがいではないです。生きることそのものが生きがいであり、その瞬間を感じる事が満たされることである・・・Fuufillmentの極意ですね🌈
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